せっかく生まれてきたのだから、何か素晴らしいことをしたいと思って生きてきましたが、この思いは、どんなに懸命に生きたとしても、あと20年位のものです。では、何をしたらいいのか、どう生きたらいいのでしょうか?・・・・私は、自分の意思でもないのに60年前にこの世に産み落とされ、そして後せいぜい、数十年で死んでいかねばならない。これは、はたして意味のあることなのでしょうか?・・・・どう考えてもそうは思えません。もともと自分の意志で何か目標を持って産まれてきたのではないのですから、「生きている」ことの意味など初めから分からないものだと思うのです。だから、生きているほうが死んでいることより「いい」ことも証明できないのでしょう。結局、人生に何も意味がないことは明白なのです。言い換えれば、世の中ありとあらゆる「よいことも悪いことも」すべて気晴らしなのだと思う。あらゆる善意も仕事も芸術もスポーツも死ぬまでの気晴らし。人間は結局、何も分からないうちに死んでしまうものだという視点に立てば世の中は気楽なものですが、欲深い私にはなかなか悟ことができません。せめて、こんど生まれて来るとしたなら、違う生き方、生きてみたい・・・・・と思う今日この頃です。
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60年前に産み落として頂いたおかげさまで逢えたではありませんか!?
♪…有りがたい日々に感謝♪
「ピュアな人」さんコメントありがとうございます。
・・・そうですねえ。あくせくと生活のことばかり考えて
一生を送ったのでは、人生の意義が分からなくなってしまいますね。
60歳過ぎれば年相応にある程度の欲望は抑えて、
じっくり、そのまんま 楽しむことにしましょうか・・・。
うんうん!!此処からはまさしく時の流れに身をまかして…アハハいいじゃないすか♪