三見港へ

萩市内から長門市に向かう途中、小さな漁港・三見集落がある。カメラ片手に久しぶりに歩く、ふと懐かしい看板を見つけた。30数年前、細々とではあるが原発反対運動にかかわっていた頃のことだ。山口県では「萩原発」建設問題が持ち上がっていた。当時、建設反対運動の地元活動家を訪れ、泊らせていただいた記憶がよみがえってきた。看板には「海は生命」・「河内を明るくする会」と書いてある。そうそう「河内を明るくする会」のNさんだ。元気にしておられるだろうか?今も元気なら90歳近いだろうと思う。石垣の上にある家も当時のままのようだ。訪ねてみる勇気もなく静かに通り過ぎた・・・・。2011年3月11日、福島第一原発がついに大事故を起こした。マグニチュード9,0という激震と巨大津波が原発事故を誘発したのだ。しかし、わずか2年後には、もうこれで「天災と原発災害は終わった出来事」のように物事(原発輸出、原発再稼働)が進んでいる。トンデモナイことである。過去形などではない。現在進行形であり、第二、第三の大惨事の幕が開こうとしているのだ。日本列島は4つものプレートが集まる「プレートの交差点」と言われ、地震が多発し、大地震が必ず起きる宿命にある。その国に私たちは生活しているのだ。原発が必要であるという意識は、私たちの欲望、幸福な生活のためには、経済成長が不可欠であるということを前提としていることから出てくる。経済成長を絶対に譲れない社会が電力を求め続ける。限りない人間の欲望は一体どこまで行けば良しとするか。わたしたちは経済成長をよきものとみなす価値観にこのまま執着してはならないと思う。原発を必要としない新しい社会を創造していかなければ、資本法則の毒牙によって水・緑・生命を失い、この地球の行きつく先は、はただ無機質な宇宙の塵となって漂うだけになってしまう。原発ゼロを目指すということは、新しい文明を生みだすということでなければならないと思う。

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