海の前の家

s-DSCF5251s-DSCF52562004年(52歳)、郵便局に勤めて33年が経過していた。7月のある日、職場の定期健康診断で医師から突然、『白血病』と宣告され緊急入院した。無治療のままだと3年で死に至ると言われた。闘病中、死を意識した。自分の体が宙に浮かびながら、深海の奥深くどこまでも、どこまでも、沈んで落ちてゆくような体験をした。人生に病気は付き物で、人の命には限りがあって、死を正確に形容するとすれば、それはやはり「取るに足らない」、「ありふれた」、「平凡な」出来事という以外にないのではあるが、私はその日まで「死なない感覚」で生きていたのだ。だが、この体験を境に「死ねばすべては無である」という結論を突き付けられ、その後の生き方が変わった。死ぬことを知らなければ人はきちんとは生きられないと思った。生きていることそれ自体がまるまる死ぬための準備なのだと思い、55歳で郵便局を退職、保険代理店を始めた。2013年からは新聞記者の仕事も請け負い、今は、3つ目の仕事、画家の海外展開事業の一部も始めた。長いようで短いのが人生! 私は、一度だけ生まれてきて、残された時間もあまりないのに、自分のしたくないことに時間を費やし、命を削ってゆくことは全くバカげていると思う。もうじき「無」になってしまう己だから、自分の感情と信念、美学を貫き、それに合うものには時間や金を使い、合わないものは次々と削り取る、という自己中心的な生き方を実現したいと考え、またもう一つ新しいことを始める決意をした。まず、7月には事務所を海のそばの古民家に移転する。そこでギャラリーカフェを開き、多くの人が集まる交流の場にしていく。今は、そのための準備に日々奔走している。・・・近頃というか、この歳になってようやく気づいたことがあって、それは、安定して安心に生きられることが幸福だ。という前提は間違いで、安定できない、安心できないこの世の状況のなかで、落ち着いていられる心が本当の幸福を感じるのではないかと思うようになってきた。・・・死をかかえこまない生き方にどんな真剣さがあるというのか、生が終わって死が始まるのではなく、生が終われば死も終わる。死は生に包まれていて、生と同時にしか実存しないものだと、あの日からずっと心の奥底で思って暮らしてきた。・・・いろんな生き方をしてみたい・・・あくなき自己表現への渇望と未知との遭遇への好奇心・・・残りの人生ぐらい好奇心全開で走り抜けたい・・・対象はいつも自分自身・・・振り向くな、振り向くな、過去に未来はない。そんな思いで暮らしている。(爺々のひとり言)

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