「人生を半分降りたい」とは、自分のために使う時間を確保したいということだ。自分自身のために自分を自由にし、今までに私から奪い去られ、盗みとられ、あるいは逃げ去った時間を拾い集め、それを守りたいと思うのだ。まだ、この年齢(61)に及んで「一花咲かせたい」などといういじましい野心を抱いているあいだは、難しいとは思うが、まだ体力・気力・知力ともに残っているほうがいい。私はいまだに、この人生で「何をすべきか」はわからない。しかし、少し「何をすべきでないか」だんだんわかりかけてきた。現在の仕事の成果にも満足ではないが、もう新しいことはできそうにない。世間的には「ここらへんで」勝負するしかない。この大宇宙の長い歴史において、たった一度だけ与えられた「いのち」なのに、そしてもうすぐ永遠に何事かを感じたり考えたりするチャンスは与えられないであろうのに、このままあくせく働いて死んでしまうのだとしたら、なんともったいないことであろうか。幸いなことにまだ時間は残されている。いいかげんな人間なので全部降りることは無理だから、〈半分〉降りたいと思うのである。つまり〈半分〉は社会的に生きてごまかしを続ける。しかし、残りの〈半分〉は、けっして妥協せずに自分の内部の声を聞き分ける。自分はいったい何をしたいのか、自分にとって何が最も重要な問題なのか・・・・いかにして「自分自身になるか」を問い続けてみようと思う。その一つとして「カメラ散歩」は私にとって欠かせない大切なことなのだと強く思う。
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