安保関連法案の撤廃を求める百人集会には100人以上の人たちが集まった。講演の後、熱心な意見が交わされ関心の高さを示した。
講演要旨: 人間は一匹では生きられない弱い動物である。したがって群れる(集団化)習性がある。集団化すれば管理統制が起こり、厳罰化が進む。そして、集団から同調圧力が生まれ暴走が始まる。敵を探したくなり反体制者を探すようになる。(アフガン、イラク)日本の殺人件数は戦後最小であり治安は世界一良いとされているが、現在、日本の事件報道は世界一であり、国民の不安は拡大するばかりである。そして優しい日本人は「絆」という言葉によって組織の歯車になりやすいく、優しい日本人だから人を殺せるという。中国、北朝鮮などの脅威論によって国民は怖さを感じ、自衛の意識を拡大して行く。これが軍隊の存在理由だ。この自衛の意識が戦争を起こしてきたのである。イスラエル軍隊の正式名称は「国家防衛軍」、アメリカはペンタゴン「国防総省」でイラクも「国防軍」、中国は「人民解放軍」で北朝鮮は「自民軍」。この名称が示すように世界中の軍隊は自衛の意識から始まり、最初から他国への侵略を目的とした軍など存在しない。自衛の意識は簡単に暴走する。かつての日本が戦争の大義にしたのも、欧米列強からのアジアの解放だった。ナチスドイツはポーランドの侵攻を祖国防衛のため、ユダヤ人殺害はゲルマン民族を守るため。アメリカがベトナム戦争に介入するとき共産主義から自由主義社会を守るためと宣言した。アメリカ同時多発テロを行ったアルカイダは、アラブ世界を欧米から守るためと犯行声明の中で述べている。そしてアメリカのイラク侵攻も、大量破壊兵器を持つテロリストから世界平和を守るためが大義だった。多くの戦争はこうした自衛の意識から始まるのだ。安倍政権は戦争のメカニズムを全く分かっていない。彼らの歴史認識は決定的に間違っている。「自衛を理由に殺し合いを続けてきた人類の歴史に対する絶望」が欠落しているのだ。人間は確かに自衛の意識をなくすことは不可能かもしれないが、自衛の手段を制限することはできる。憲法9条は凄まじいテーゼだ。憲法9条は戦闘行為をきっぱりと否定している。この法案の撤廃は、自らの平和的生存権を求める闘いである。