毎週のように街へ出てシャッターを押している。いったいなぜ、そんなに撮るのか。とにかく撮らずにはいられない。ひたすら写し続けることで何かを探しているが、対象はいつも自分自身なのだ。たとえばこの写真、確かに犬が写っているのだが対象は自分自身。一匹の犬を、犬として撮るのではない。尾道を撮る場合は尾道での自分、長門では長門での自分、人物を撮る場合はその誰かとの自分、その時その時の対象との出逢いによって生ずる自分自身の感じ方、意識。外界への興味から始まる自分への興味。いつも自分を探してきたような、そんな気がしています。
写真の日々
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犬の脚の間にビールのコンテナケースを見つけました
昔、工場で造っていたなァ懐かしさを頂きました。
単なるカメラフェチではなさそうです、その時・その場
など気分で行動しストレスは解消するは・自分探しの旅は
できるは、、、と羨ましささえ感じます。
これからも続けてください。
写真は芸術とかアートとか言ってるが
なんだかなーと思ってしまう。
そんなことを言ってると自分の写真の可能性が
スカスカのような気がする。
なんでもかんでも、オッと思ったら撮ることにしています。
と言うか、撮らずにいられない。
もうそんな性分の人間ですから
変えることもできません。(笑)