わたしは私自身の記録である

人生は三つの時に分けられる。過去の時と現在の時と未来の時である。このうち、現在過ごしつつある時は短く、これから過ごすであろう未来の時は不確かである。過去に過ごした時だけが確かであり、呼び戻すことのできない、運命の支配外に運び去られた部分である。であるから、この私とは、かつて感じたこと・考えたこと・夢見たこと・想像したこと・・・・・そしてとりわけ、行為したことにほかならないのである。未来は・明日は単なるイメージであって明日になればまた今日になるのだが、人は皆「明日になれば、思いがけないことが起こるかも知れない」だから「明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きる愉しみがなくなってしまう」のである。写真も明日を追いかける旅であり、偶然を探す旅である。見てきた風景を捨てて、また新しい風景をつくるために、いくつかの街を超えて撮影に出かけるのである。そうした行為こそが私であり、私自身の記録なのである。

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