生まれて死んで、死んで生まれて

生命が誕生した太古の時代から命を受け継ぎ、数えきれない死と誕生の繰り返しがあっていまの私たちが生きています。つまり、いま生きているこの私たちは彼らの死後の時間を生きているわけですが、いずれ自分も死後の時間の中に組み込まれて行くのです。日々そんなことを考えていると、私たちはもっと「死ぬことを知らなくてはきちんとは生きられない」と思うのです。死に直面すること。私たちはもうすぐ死んでしまうんだということを自覚し、死を想いながら生きてゆく事が大事なのではないだろか。そうすることによって、人間はいかに生きるべきかという問いに答える地盤ができるのではないか。少し考えてみる・・・・・。なら、死ぬことに準備などあるのか?準備というのなら生きていることそれ自体がまるまる死ぬための準備ではないのか?命を味わいながら死を想い、祈る季節がこのお盆の頃なのである・・・・・。

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